総理大臣就任直後、石破茂氏は石川県の能登半島を訪れ、1月の地震による被災現場と9月の豪雨被害を視察した。復旧事業における国の補助率を引き上げる「激甚災害」への指定を速やかに行う意向を表明した。
「どうか助けてください。本当に立ち上がれない」
被災者から懇願された石破氏は、次のように応じた。
「国もわかっているな、と思ってもらわないといけんと思っている。『よし、立ち上がろう』という気になってもらうようにやります。ぜひ何でも言ってください」
そして記者団の取材に対しても、
「ここにお住まいの方々の、なんで自分たちだけこんな目に遭わねばならんのだろう、という悲痛な叫びにきちんと応えることが政治の責任であるということを、改めて痛感した次第だ」
そう語って復興に対する思いを強くしたのだった。
政治家の口からは「被災地の悲痛な叫びに対し、きちんと応えることが政治の責任」といった言葉をよく出る。しかし石破氏はかつて、福島第一原発事故で避難を余儀なくされた被災者に対し、こんなことを言っている。
「いずれ『この地域は住めません。その代わりに手立てをします』ということを誰かが言わなきゃけない時期は必ず来る」
故郷への帰還に一縷の望みを持つ被災者たちの神経を、大きく逆なでしたのである。それが2013年11月2日に札幌市で行われた講演での一幕だった。政治部記者の話を聞こう。
「当時、石破氏は自民党の幹事長で、東日本大震災発生からこの時点で2年8カ月が経過していました。ただ、政府は避難者全員の帰還を原則とし目指していたこともあり、避難民は複雑な思いでその経過を見守るしかない状況が続いていたのです。ところが政府からは帰還可能な地域と不可能な地域が明示されておらず、具体的な除染計画も進んでいない状況でした。講演で石破氏は、国が長期的な目標とする年間の追加被曝線量1ミリシーベルトを見直す必要があると強調したものの、政権与党幹部として具体的な数値や地域についての言及は一切なし。結局、この発言はいたずらに不安を煽るだけで、避難民の期待に水を差すものとなってしまいました」
石破氏は自民党総裁選で掲げた「防災省(庁)」設置構想について、当面は内閣府防災担当の予算と人員を拡充し、内閣府の外局として創設を図ると語り、意欲を示した。「国民を守る」「地方を守る」「約束を守る」の有言実行を願うばかりだ。
(山川敦司)