2002年の新日本プロレスは、1月の武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンと心臓部と呼ばれた幹部社員の全日本プロレス移籍、90年代の黄金時代を築いた長州力現場監督と永島勝司取締役企画宣伝部長の退社という大激震に見舞われ、現場責任者=蝶野正洋、マッチメーカー(渉外・宣伝担当取締役)=上井文彦という新体制になった。
10月13日には東京ドームホテル「天空の間」で創立30周年パーティーを開催して「企業寿命は30年」と言われる中で07年までの5カ年計画で年商を40億から50億に増やし、自社ビルを建説するという「DASH35」プロジェクトを発表して捲土重来を期した。
一方、武藤らを獲得した全日本は活気づいた。1月末日で新日本との契約を終えた武藤、小島、カシンの3選手は2月9日の後楽園ホールにおける「エキサイト・シリーズ」開幕戦に姿を見せて参戦をアピール。2月24日の両国国技館にフリーとして出場した上で、その2日後の26日、キャピトル東急ホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)「京都の間」で全日本入団が正式発表され、武藤は「全日本プロレスに骨の髄までしゃぶっていただきたい」と高らかに宣言した。
この記者会見には、新日本を退団した3選手の他にカズ・ハヤシも出席して入団を発表。カズはみちのくプロレスを経て98年2月からアメリカWCWを主戦場にし、01年3月にWCWがWWF(現WWE)に買収されてからはWWFのファーム団体のHWAでファイトしていたが、武藤に「全日本でジュニア・ヘビー級を盛り上げてくれないか?」と誘われたのである。
社長になることを前提に全日本に移籍した武藤は、先々のことを考えてルックスもよくて華のあるカズを自らスカウトしたのだ。
ただ武藤が全日本の社長になるというのは、馬場元子オーナーと移籍してきた武藤一派の間の密約で、全日本の選手と社員にはあずかり知らないところであり、リング上はそうした政治的問題を投影した「元子オーナーが社長の座を譲るのはジャイアント馬場の愛弟子の天龍源一郎か? 全日本一筋の川田利明か? あるいは武藤敬司か?」というストーリーで展開された。
8月30&31日には日本武道館2連戦。初日は武藤プロデュース、2日目は天龍プロデュースとして開催され「どちらが次期社長にふさわしいかの試金石」と注目されたが、どちらも超満員1万4800人を動員。
天龍プロデュース大会のメインイベントは天龍、スティーブ・ウイリアムス、嵐、北原光騎、折原昌夫の天龍軍と武藤、馳浩、新崎人生、カズ・ハヤシ、ジョージ・ハインズの武藤軍による5対5のイリミネーションマッチが組まれ、最後は天龍&ウイリアムスVS武藤の2VS1という状況になって、武藤がウイリアムスのバックドロップに力尽きたが、試合後に天龍は「今日は武藤の頑張りが見たかったというのが正直なところ。全日本を背負っていってほしいと思ってるよ」と社長の座を武藤に託すことを明言した。
そして馬場のデビュー42周年記念日でもある9月30日、キャピトル東急ホテル「真珠の間」における創立30周年記念パ―ティーで武藤の社長就任(10月1日付)と天龍、川田、渕の3選手、和田京平レフェリー、広報の三橋祐輔、営業の高橋秀樹、武藤とともに新日本から移籍してきた青木謙治経理部長、マッチメーカーの渡辺秀幸が取締役に就任。馬場の時代から営業部長を務めてきた大峡正男が監査役になった。
パーティーにはK‒1プロデューサーの正道会館・石井和義館長、ZERO‒ONEの橋本真也、新日本と全日本の対抗戦の仕掛け人で、この時点では長州との新団体(のちのWJプロレス)旗揚げを計画していた永島勝司らが来場。
石井館長とはパーティー2日前の9月28日に記者会見を行い、11月17日に横浜アリーナで「K‒1やPRIDEの大物格闘家によるプロレスへの挑戦」をコンセプトにした合同プロデュース・イベント「WRESTLE‒1」を開催することを発表した。社長就任前から王道継承とは別に新たなカラーを打ち出したのだ。
10月27日の日本武道館での「ジャイアント・シリーズ」最終戦がファンの前での政権交代。30周年記念セレモニーには馬場の戦友ザ・デストロイヤー、ジン・キニスキー、ニック・ボックウインクルが来場、選手を代表して川田が元子オーナーに花束を贈呈した。
「私は今日を最後に馬場さんとの2人の生活に戻らせていただきますが、これからも馬場さんが愛した全日本プロレスをどうぞよろしくお願いします」と挨拶した元子オーナーは、花道から馬場の写真がプリントされたカーテンの奥に消えた。それは1つの時代の終わりを象徴するシーンだった。
メインでは武藤の化身グレート・ムタが、天龍を撃破して三冠ヘビー級王者に。2つの人格によってリング内外で全日本のトップに立ったのである。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。
写真・ 山内猛