プロ野球の新記録を樹立した試合は悲運な結末を迎えた–。
1995年4月21日、千葉マリン(現ZOZOマリン)でのロッテ対オリックスの3回戦だった。
この試合で先発マウンドに立ったオリックスの野田浩司が、19奪三振の日本新記録を達成しながら、マウンドを降りた10回にサヨナラ負けを喫したのだ。
オ 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0=1
ロ 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1=2
球場に大歓声が巻き起こり、ロッテベンチは優勝したような騒ぎとなった。
延長10回、ロッテはオリックスの2番手、抑えの平井正史を攻めて1死一、三塁とし、南渕時高がサヨナラの犠飛を打ち上げた。
本来なら拍手喝采に包まれて、仲間たちからも祝福されるはずだった。ところが、それはどこにもない。
野田が堂々と言った。
「笑顔で応えられないのが残念です。でも、この日を誇りにしたいと思います。ウイニングボールがありませんからね」
奪三振ショーは試合開始直後から始まった。2回までに6奪三振、アウトは全て三振だった。
さらに3回に2奪三振、4回にも2奪三振である。4回を終わって2ケタの10奪三振。すさまじいペースである。
サイドスローに近いスリークォーターから繰り出す、150キロ近い速球と落差の大きな「お化けフォーク」が冴えた。スライダー、カーブといった変化球も切れていた。
千葉マリンといえば、風が名物だ。センター上空からバックネット方向に、時速8メートルを超える強風が吹いていた。
それは高い球場の壁にぶつかって逆風となる。マウンドでは向かい風となる。野田のフォークは空気抵抗を受けて、左右に曲がっては落ちた。
千葉マリンの風は投手にとっては面倒な代物だが、野田は味方につけた。ロッテの打者たちは面食らった。
奪三振は5回で13を数え、7回には圧巻の3者連続三振で17となった。
野田は94年8月12日、神戸での近鉄戦で当時、足立光宏(阪急)、野茂英雄(近鉄)に続く、3人目の日本記録となる17奪三振を記録していた。この時点で、自らが持つ最多タイ記録に並んだ。
「三振の数は頭の中で数えていました。7回に連続で2つ取って16三振になり、いけると思った。気合を入れ直した」
8回だった。先頭の平野謙を130球目、119キロのフォークで空振り三振に仕留めた。自分の右腕と決め球で自分の記録を塗り替えた。
バックスクリーンに「日本新記録おめでとう」の文字が浮かんだ。
オリックスの1点リードで迎えた9回裏、野田はマウンドに上がった。完封勝利まであと3人。
「好事魔多し」とはよく言ったものだ。1死一塁から平井光親の三塁打で同点に追いつかれた。記録は安打だったが、打球を後ろに逸らした中堅・田口壮のまずい守備が絡んだのである。
それでも勝ち越しを許さなかった。2死満塁で平野から空振りで19個目の三振を奪った。162球目だった。
野田は10回裏もマウンドに向かおうとした。しかし、投手コーチの山田久志からの指令は交代だった。
これに珍しく歯向かった。自分の手で決着をつけたい。投手としての責任感と勝利への執念があった。
監督・仰木彬は平井の名前をコール、そして待っていたのはサヨナラ負け–。
この試合は「新」がもう1つ付いた。ロッテの先発・小宮山悟が9回を投げて10三振を奪い、両先発投手の奪三振合計29も日本新記録となった。
プロ野球では環境の変化や移籍によって、飛躍的に成長する選手がいる。野田はその典型例だ。
87年のドラフトで九州産交からドラフト1位で阪神に入団した。88年から92年までの5年間で35勝52敗。エースとして期待されたが伸び悩んでいた。
92年オフ、阪神は打線を強化するためにオリックスの主力打者・松永浩美の獲得に動いた。交換要員が野田だった。
これが転機となった。切り札のフォークに磨きをかけた。ストレートと同じ振りで投げるフォークは威力があった。
野田は新天地で93年に最多勝となる17勝、94年には12勝を挙げて、エースにのし上がった。93年には近鉄相手に15、16三振を奪い「奪三振マシーン」の異名を取るようになった。
フォークの元祖は中日の杉下茂である。初めて投げたのは49年。新聞各紙は「魔球」と書いた。
投手がバッタバッタと三振を取るのは野球の醍醐味だ。ロッテ監督のボビー・バレンタインが言った。
「先発であんなに凄いフォークを投げる投手を見たことがない。素晴らしい」
その後、奪三振記録は楽天時代の田中将大が11年のソフトバンク戦で、日本記録に1と迫る18個をマークした。22年には完全試合を達成した佐々木朗希(現ドジャース)が、野田と同じマリンで19奪三振。記録更新を狙ったがかなわなかった。
思い起こすとあの試合、野田の19奪三振には「追い風」があった。3回にフリオ・フランコの右邪飛が風に流されて、イチローがポロリとやった。この後、フランコは空振り三振に倒れた。7回には、愛甲猛の高々と上がった飛球を一塁手の藤井康雄が落球した。この後、愛甲はやはり三振を喫した。
2個儲けていた。17個でタイ記録となる可能性もあったのだ。試合の結末は不運だったが、結果的に味方のミスは幸運だったのかもしれない。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。