25年、注目の怪人物がいる。見方によっては「世界一危険な人物」と言っていいかもしれない。大富豪のイーロン・マスクだ。
現在53歳のマスクは南アフリカ生まれ。カナダ留学後に米国に留学し、スタンフォード大学在学中に、実兄らとオンライン都市案内ソフト開発のベンチャー企業を立ち上げて成功。そこからオンライン銀行「Xコム」、オンライン決済「ペイパル」の経営で大成功した。マスクはペイパル株の売却で巨額の資金を得て、宇宙ロケット開発の「スペースX」を起業。さらに電気自動車製造企業「テスラ」に出資して大株主となり、CEOに就任した。スペースXもテスラも時代の波に乗って急成長し、マスクは世界一の大富豪となった。22年には「ツイッター」を買収し、「X」と改名している。
と、これだけ見ると、マスクは先見性から一代で大成功したビジネスマンということになる。彼の実業界での快進撃はもちろん世界中が知っており、国際ニュースに潜んでいる人物というわけではない。
しかし、そうした実業界の実績に加えて、彼は政治の世界に深く乗り出している。彼はビジネスについても政治的な分野についても、壮大で突拍子もないことをしばしば発言しているが、そのホンネはわかりづらい。突拍子もない彼の言動は、世界の政治と経済に大きな影響を与え得るものと言えるが、一方でどんどんと危険な領域に踏み込んできている。そういった意味で、マスクはこれからの世界でもっとも危険な人物と言っていいのだ。
すでにマスクは米国で凄まじい政治的権力を握りつつある。彼は若手のITビジネスマンではよくあるように、もともとはリベラル的な人物であり、第1期トランプ政権の頃はトランプに否定的だった。しかし、22年6月頃から急速にトランプに好意的な姿勢を示すようになる。当時のトランプは下野中だったが、20年の選挙無効運動や21年1月の議事堂占拠事件の扇動などで批判を受けており、急に自分を褒めだしたマスクを大歓迎。両者は急速に接近していく。
マスクがツイッターを買収したのが22年10月だが、その頃にはマスクは完全に政治的には極右論客に変貌しており、Xもリベラル勢力に不利になるように仕向けていく。そうして米国内でトランプ有利な世論を煽り、また今回の大統領選でもトップクラスの巨額資金援助を行い、すっかり陣営の中枢に入り込んだ。
24年11月の大統領選でトランプは勝利したが、もはやマスクはトランプの側近として政権の中心人物になろうとしている。常にトランプの傍に寄り添い、新政権の閣僚人事にも深く関与したほか、外国要人との電話会談にもしばしば同席して意見を挟んだりした。トランプ新政権では新設の政府効率化省(DOGE)のトップになることが決まっており、米国政府組織のリストラに多大な権限を持つことになる。
今後4年間、米国は議会も押さえたトランプ大統領がほぼ仕切ることになるが、その背後で、マスクは絶大な権力を握ったと言える。彼の言動はトランプ以上に極右化しており、今後、さらに突拍子もない政策をぶち上げてくる可能性はきわめて高い。
そんなマスクの標的は、米国だけではない。最近は特に欧州の極右勢力に接近している。たとえば、ドイツの政党「ドイツのための選択肢」(AfD)だ。ドイツ国内で移民排斥やイスラム差別を訴え、近年支持率をいっきに上げている極右政党だが、ドイツの西側での立場を批判し、ロシアのプーチン支持を訴えている。そんな彼らを、マスクは表立って支援する言動を繰り返している。ドイツでは連邦議会(下院)選挙が2月23日に行われるが、今年1月9日にはXのプラットフォーム上でAfDのアリス・ワイデルと会談。いわば無料で選挙宣伝に協力したかたちだ。
あるいは、ルーマニアの有力な野党政治家のカリン・ジョルジェスクもいる。彼は極右でプーチン支持。しかも人類の月面着陸を信じず、炭酸ジュースにはナノチップが仕込んであるなどと主張する陰謀論者でもある。しかし、そんなトンデモ政治家が24年11月のルーマニア大統領選第1回投票で1位になり、その後、不正疑惑で無効になった。その不正工作の背後にはロシアがいるとみられるが、そんなジョルジェスクをマスクは盛んに応援している。
さらにマスクがおおっぴらに介入しているのは英国だ。マスクは英国のスターマー政権を激しく批判。極右政党の「リフォームUK」への支持を公に打ち出してきた。リフォームUKはかつて英国のEU離脱を牽引した極右人脈がベースの野党勢力で、ウクライナ戦争ではロシアのプーチン政権を支持している。
マスクは英国の極右団体「イングランド防衛同盟」元代表でイスラム差別活動家のトミー・ロビンソンを強く支持しており、英国内の人種問題での分断をことさら扇動する言動を繰り返している。ロビンソンは過激派といっていい人物であり、法廷侮辱罪で現在は獄中にある。彼も熱烈なプーチン支持者である。
もっとも、マスクがこのロビンソンを支持したことを前出「リフォームUK」党首が批判したことで、この1月5日、マスクは同党首にブチ切れし、Xで「リフォームUKは党首を交代すべきだ」と主張。マスクは英国極右を支持・応援しながらも、彼らの内部の人間関係をよく知らず、迷走している。
いずれにせよ、米国のトランプ政権の黒幕のような存在であるマスクが、欧州の分断を盛んに扇動していることは事実で、その動機がいまひとつ明確でない。彼は現在、AIビジネスや仮想通貨ビジネスなどで新事業を画策しているが、その目的のためということだけでは、すべてを説明できないのだ。
ただ、彼の政治的行動はすべて、ロシアのプーチン政権の利益になっているという事実は留意すべきだろう。22年2月にロシアがウクライナに侵攻した時、マスクはウクライナにスターリンク(衛星通信)を提供して協力した。しかし、その後は急速にプーチン支持に態度を変え、現在に至っている。
今では、まるでプーチンの代理人のような存在だが、その劇的な変節の本当の理由は謎である。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)