王は、半世紀におよぶ野球人生で、さまざまな日本のオーナーを見てきた。いくらオーナーになったといっても、野球経験がないばかりでなく、英語で言うところの「ラブ・ベースボール」の「ラブ」がない。そもそも、野球にはまったく興味のないオーナーがほとんどである。
そのような中で、野球経験もあり、それだけ野球に興味を持っている孫にチームを引き受けてもらえるのは、王にとって喜ばしいことであった。
自分の故郷でもある九州への思いも強く、福岡の財界、青年会議所、ファンなどの声も十分に汲み取ってくれた。「ホークス」の球団名を残し、応援歌も「ダイエーホークス」の歌詞を「ソフトバンクホークス」に変えるといったことで継承した。
おそらく孫ほどの資金力があれば、球団名から何から、自分の思うようにしたいに違いない。しかし、孫は周りの声を受け入れる寛大さも持ち合わせていた。
そのうえ、現場に関することは、すべて王に一任してくれた。
「とにかく、野球のことはお任せしますから、思い切ってやってください」
そうは言っても、なかなか現実にはそうはいかないこともある。金も出すが口も出す、口は出してもお金は出さないという経営者は数多い。ところが、孫は、有言実行で、すべて王に任せてくれた。
その意味では、ダイエーホークスのオーナーであった中内功も同じであった。フィリピン戦線の死線を生き残り、敗戦直後の神戸の闇市から一代で巨大流通グループを築いた中内と、貧しさと差別の苦境からのし上がった孫は、そのあたりの感覚は似ていたのかもしれない。
孫が、王に言ったのはただひとつ。「世界一の球団にしてください」
その言葉は、王が現役時代にオーナーだった正力松太郎が、「強くあれ、紳士であれ」の言葉とともに繰り返し話していたものと同じであった。
「いずれ、アメリカと決戦できるチームになれ」
正力はそう言っていた。
しかし王は、どうしても日本一のことばかり考えがちであった。孫に「世界一」と言われた時には、改めて感じた。
〈我々はまだまだ、小さいことを言っていたな。もう一度、強い思いを抱いて戦っていかないといけない〉
孫は、球団を買収したことで、のちに携帯電話会社を持った時、より宣伝効果を発揮することになる。