先にも書いたが、小百合の女優としてのピークは20歳前後だと、私は思っている。「純愛コンビ」が強制解消になるまで‥‥。
事実、その後の小百合は伸び悩んだ。男なら誰もがときめく綺麗な女性なのに、女優としての魅力は薄れていく。そうして彼女は、長いスランプに陥っていった。
そんな折のことだった。輝きを失いつつあるスターを見ていられなくなった三人の「サユリスト」が立ち上がったのだ。
中山千夏の小説「クワルテット」に、こんなシーンが描かれている。
登場するのは一人の女優と三人の男。女優は非の打ち所のない美少女で、スクリーンを駆け巡っていたのが、年齢とともにだんだん下降線をたどっていく。
小説といっても、これはいわゆる「モデル小説」であり、この女優は小百合そのもの。だから設定が全く同じなのだ。
そして三人の男はそれぞれの方法で、女優を脱皮、再生させるための講義、レクチャーをすることになった。いわゆる「個人授業」だ。男たちは互いに「抜け駆けはなしですよ」という約束事を交わすものの、もちろん、虎視眈々と「あわよくば」を狙っている。
この男たちもまた、作家、写真家、プロデューサーと、実在の人物と設定が同じ。小百合と対談したこともある、さる大御所作家に、高名な写真家。そして名物編集プロデューサー。もちろん、小百合とは交流のある人物だ。
「大御所作家」は定宿のホテルの部屋に「小百合」を呼んで、バスローブ姿で待ち構えていた。「小百合」の付き人を帰らせて。そして密室の「マル秘個人授業」がスタートする──。
あとになって私は、小百合にインタビュー取材をする機会を得た際に、改めて確認してみることにした。
「あれは小百合ちゃんのことですか」
すると彼女は突然、キッと怖い顔になって、こう言った。
「それは千夏ちゃん、ご自分のことをお書きになったんじゃないかしら!」
そんなはずはないのだ。小百合はごまかしていると、すぐ感じた。
結局、「個人授業」は奏功しなかったのか、小百合はスランプを脱したとはいえなかった。
折しも、敢然と脱ぐ女優が出てきた潮流。「忍ぶ川」(72年・東宝)のこんなエピソードがある。
当初、この作品は熊井啓監督が日活に持ち込み、小百合主演で製作される予定だった。結婚初夜の濡れ場も用意されており、小百合自身も積極的で乗り気だった。
ところがこれに、小百合の父親が異常なまでに反対し、横ヤリを入れる。
結局、小百合は渡との結婚が破談になった時と同じく、父親に従う結果となり、まさかの降板。「幻の濡れ場」となったのと同時に、女優として脱皮する機会を自ら逃してしまった。
ちょうどそんな頃だった。父がとある映画の主演を誰にしようかと迷っていた。私はもちろん、その時も小百合ファンクラブの一員たる「サユリスト」。
「パパ、小百合ちゃんはどう?」
「うん、小百合もいいと思うんだが。手垢がついてないからな。山本陽子みたいなのは御免だな」
しかし結局、小百合は起用されなかった。
「どうだった?」
私がそう聞くと父は、
「どうやら結婚するらしいよ。あまり仕事をする気がないらしい」
これと前後して、小百合は声がうまく出なくなる病気に悩まされることになる。渡との破談ショック、それによる両親との対立、忙しすぎたことによる精神的ストレス、そしてスランプ‥‥。
小百合自身が、
「何をやってもうまくいかなかった。長い長いスランプで」
と、のちに振り返っているが、その心の隙にうまく入り込んだのが、先の「個人授業三人衆」ではなく、やがて夫となる中年テレビプロデューサーだった。
中平まみ(作家)