1967年、ルーキーながら江夏豊氏(当時、阪神)は最多奪三振のタイトルを獲得した。
しかしながらこの年、27本塁打を浴びている。少し甘く入ると、プロには被弾されることから、配球に改良を重ねることに…。
そう回想したのは、掛布雅之氏のYouTubeチャンネル〈掛布雅之の憧球【公式】〉に出演した江夏氏である(6月11日)。
68年、林義一氏が阪神のピッチングコーチに就任。江夏氏が教えを請うと、林コーチはこう説いたという。
「江夏君、考えてみなさい。例えば人間が、糸と針を持って穴を通す時、遠くではなく、近くで合わせる。人間の視覚は近くに合わせている。遠くは見づらいんだと。じゃあ配球も、近めより外に基本、持っていく。インコースは反対に、遊び球。徹底的に外(アウトコース)…」
キャンプでは1日平均170~180球(全部で約2600~2800球)投げ込み、肩のスタミナ作りに励んだ。
その甲斐あって、68年は「401奪三振」の日本プロ野球記録を作る。
ストレートだけでプロ入りした江夏氏がカーブを覚えたのはこの年であり、プロ通算2987三振を奪う快進撃は、まだ始まったばかりであった。
(所ひで/ユーチューブライター)