75年1月に発売され、日本のロック史上前例のない10万枚のセールスを記録。それが、日本の女性ロック・ヴォーカリストの草分けであるカルメン・マキが、ギタリストの春日博文と結成したカルメン・マキ&OZによる、セルフ・タイトルのファーストアルバムだった。
マキは高校中退後、寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」に参加し、69年に「時には母のない子のように」でソロデビュー。この曲の大ヒットにより「アングラの女王」としてマスコミの脚光を浴びるが、ジャニス・ジョプリンに傾倒していた彼女は次第にロック指向を高め、71年9月、ブルース・クリエイションとの共作で「カルメン・マキ/ブルース・クリエイション」を発売。本格的ロックシンガーとして活動をスタートさせることになる。
そして、ブルース・クリエイションのドラマーだった樋口晶之に、春日(g)、鳴瀬喜博(b)といったメンバーが加わり、カルメン・マキ&OZが結成。ディスコや学園祭で、人気を集めるようになっていく。
ただ、このバンドはメンバーの出入りが激しく、同アルバムのレコーディング中にも交代するというアクシデントもあった。
ハイ・トーンでシャウトするマキのヴォーカルと、トニー・アイオミ(ブラック・サバス)を彷彿させる春日のヘヴィーなギター・ワーク、さらに、ドラマティックに畳かける楽曲構成は秀逸で、1作目にして、すでにバンド・スタイルを確立させていた。
アルバムはAB面合わせて6曲。うち、ハード部分と抒情的部分のコントラストが素晴らしい1曲目「六月の詩」を含め、3曲が組曲である。さらにそのうちの2曲は、11分を超える大作だ。
シングルカットされたB面1曲目「午前1時のスケッチ」では、SEとして街頭のノイズを使用するなど、映像的手法を取り入れている点も特筆すべき部分だ。
アルバムのハイライトを飾るのが、SHOW-YAの寺田恵子はじめ、数々の女性シンガーらが、必ず一度はコピーするといわれる伝説の名曲「私は風」。
ブリティッシュ・ハード系のヘヴィーなギターに始まり、哀愁漂うピアノをバックに、しっとりと歌い上げるマキ。ゲストに迎えた深町純のハモンドとシンセがプログレ風味を添え、再び春日のギターと千代谷晃のベースが唸りを上げる。3部構成で次々に表情を変える組曲は、圧巻のひと言に尽きる。
バンドは77年に3rdアルバムを発売後、解散。その後、マキはソロとして活動した後、LAFF、5Xなどを結成し、さらにハードな路線を突き進むことになる。そんな彼女の原点であり、日本ロック史に金字塔を打ち立てたのが、このアルバムだったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。