明菜復活──。衝撃的なニュースが、芸能メディアを駆け巡った。
8月30日に突然立ち上げたツイッターと公式サイトで、新たな個人事務所「HZ VILLAGE」設立を発表した中森明菜が、ファンに再始動を報告したのだ。
スポーツ紙の報道によれば、さっそく明菜と旧知のNHKスタッフが年末の「紅白歌合戦」出場を打診しているとされ、実現すれば14年のニューヨーク生中継以来、8年ぶりの出場となる。ファンの間で俄然、期待が高まるのも当然のことだろう。
そんな明菜復活のニュースを見て、ふと、妹で女優だった中森明穂のことを思い出した。
明穂は明菜より1歳下。中学時代から目立ちたがり屋で、87年7月のドラマ「スケバン保母さん ツッパリ風雲録」(フジテレビ系)で、念願の主演デビューを果たした。
かくいう私は、明穂とは浅からぬ縁があった。というのも当時、明菜と近藤真彦が交際中、私は中森家が清瀬駅前で経営していたレストランパブ「ミルキーハウス」を頻繁に訪ね、母・千恵子さんから話を聞きながら、幾度となく記事を書いた。その傍らには決まって、明穂がいたのだ。
だが、千恵子さんがガン治療のため入院。突然、店を閉めてしまい、その後は音信不通になっていた。
ところが、縁は異なものだ。よく顔を出していた芸能事務所で、所属するアニータ・カステロ(巨人・桑田真澄=現コーチ=の元恋人で「愛のローテーション」の著者)と面談中、千恵子さんが明穂を連れて事務所に現れたのである。
聞けば、アニータと明穂は友人関係で、
「明穂が(この事務所で)お世話になるかもしれないからさ、挨拶に来たのよ」
と千恵子さんは言う。
「お久しぶりです。元気でしたか?」と尋ねる私に、千恵子さんは、
「元気なわけないじゃない。ガンでお腹は切られちゃうし、いつ死んだって不思議じゃない状態だから」
いつもの口調で答えながらおもむろにブラウスをまくると、痛々しい傷痕を見せてくれたのだった。
ただ、明穂はその事務所とは契約せず、別の事務所に所属。そして87年5月28日、当時は東京・河田町にあったフジテレビ内の喫茶「ラ・ポルト」で行われたドラマの制作発表記者会見に現れる。
明穂は50人の報道陣を前に、緊張した面持ちで語った。
「姉のような歌唱力は持っていないので、女優として認めてもらえるよう頑張ります」
そして姉・明菜については、
「素晴らしいアーティストです。姉としても、もちろん大好き。皆さんが集まってくれたのも姉のおかげですから、プレッシャーよりも、今は姉に感謝しています」
だが残念ながら、彼女が芸能界で花を咲かせることはなかった。
数年後にひっそりと引退。のちの報道で19年5月、肝硬変のため家族に見守られる中、52歳で天に旅立ったことを知った。だが、葬儀・告別式に、明菜の姿はなかったと伝えられる。
千恵子さんの屈託のない笑顔と、その隣で微笑む明穂。2人は天国から明菜復活に何を思うのか。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。