「炎のストッパー」といえば、1993年7月20日に脳腫瘍のため32歳で世を去った、広島カープの津田恒実さんのことである。
この津田さんと、かつてオリックスで監督も務めた森脇浩司氏とは、固い絆がある。2人が同じユニフォームを着るようになったのは、森脇氏が近鉄から広島にトレードされた1984年だった。同じ年齢ということもあり、2人が打ち解けるのに、あまり時間はかからなかったという。
津田さんはマウンドでは気迫あふれる投球で相手打者に立ち向かっていたが、私生活は物静かで、どちらかといえば人見知りの性格だった。
だが、津田さんは血行障害で臀部の血管を指に移植、森脇氏は近鉄時代に肩の神経がマヒして、2カ月以上の入院生活を余儀なくされる故障に見舞われた。そんな闘病経験がいつしか、2人の距離を縮めていったという。
その後、1987年のシーズン途中に森脇氏が南海にトレードされたため、同じ広島のユニフォームを着てプレーしたのは、わずか3年弱だった。が、その後も2人の関係は途切れることはなかった。
津田さんが脳腫瘍の闘病のため、福岡県の済生会福岡病院に入院していた際には、森脇氏が津田さんの晃代夫人とともに、身の回りの世話を焼いていたという。
2人の仲を示す有名な話がある。津田さんが亡くなった1993年オフ、森脇氏は結婚式を挙げた。その際、挙式会場には津田さんの席が用意された。料理もお酒も順番にテーブルに並べられ、キャンドルサービスも行われて、出席者の涙を誘ったという。この夏で没後30年となったが、2人の友情物語は今も球界で語り継がれている。
(阿部勝彦)