「日本で最初にちゃんと俺の映画を褒めてくれたのは淀川さんだったからな」
殿の口から何度もお聞きした言葉です。
「淀川さん」とは、「さよなら、さよなら」で、お馴染みの映画評論家、故・淀川長治さんのことです。
淀川さんはかなり早い時期から北野映画を絶賛されていて、淀川さんが愛情たっぷりに北野映画を解説された映像が、今もYouTubeなどに山ほどあがっているのですが、わたくし、愛に満ち溢れた淀川さんの“北野映画語り”を聞くたびに、なぜか毎回確実に涙が滲んでしまうのです。
来る11月11日は、そんな淀川さんの命日に当たります。そこで今回は、映画監督・北野武の才能に惚れ込んだ、淀川長治さんと殿との“大変素敵な関係”について書かせてください。
まず、淀川さんは殿の監督デビュー作、89年制作の「その男、凶暴につき」を見て、“北野武という人をあまり知らなかった”と断りを入れたうえで、「この人(殿ね)は容赦なく、さっと入れて、さっと感覚を出すのね。ダラダラダラ出さないのね。凄いのね。贅沢さ斬新さ。感心したね」と、絶賛されています。
2作目の「3-4X10月」では、「たけしという監督は、日本映画の収穫だと思ってる。黒澤明とともに。それぐらい、たけしさんはわたしのホープですね」
そして、淀川さんが最も好きだと言う「キッズ・リターン」では、“邦画をあまり見ないので、邦画のベストテンといった仕事を普段は断っている”としながら、「もし、邦画のベストテンをやるとしたら、この年の1位は『キッズ・リターンね』」と、“とにかく北野映画が圧倒的に好み”といった解説をされていました。
お次は、わたくしが直接体験した、殿と淀川さんとの思い出を──。
あれは17年程前、北野映画7作目「HANA-BI」撮影真っ只中の頃です。当時殿の運転手だったわたくしは、朝から晩まで、とにかく殿と同じ空間にいる日々が続いていました。その日は、夕方に撮影が終了すると、翌日からしばらく撮影が休みになるため、殿は知人の方と食事会の予定が入っていました。北関東のロケ場所から都内へ戻ると、いったんサウナに寄ってサッパリされた殿は、19時過ぎ、知人の方と待ち合わせをしていた六本木の店へと入っていかれたのです。
で、車を降りる際に殿は、
「2時間くらいは戻ってこねーからよ。適当に飯食ってろな」
と、運転手のわたくしに指示を出されたのです。
早々に食事を済ませ、書店に寄り本を購入したわたくしは、〈さて、殿が戻ってくるまで本でも読みながらリラックスするか〉と、殿が食事をされている店の前に車を停めると、目一杯ドライバーズシートを倒し、仰向けになりながら本を読みだしたのです。当時はこういった待ち時間に本を読むのが何よりも楽しみであり、毎日殿から頂くかなり多めの食事代を削っては本代に充て、待ち時間をやり過ごしていました。
で、本を読み始めて30分程すると、「ゴンゴンゴン」と、誰かが車の窓を叩く音が閉めきった車内に伝わり、慌てて飛び起き外を見やると、リアシートの窓を叩き“早く開けろよ!”と、口をパクパクする殿の姿が目に飛び込んできたのです。すぐにドアロックを外すと、後部座席に飛び込んできた殿は、
「隣の店で今、淀川さんの誕生会をやってるって聞いたからよ。ちょっと花持って顔出すから、この先の花屋に行ってくれよ」
と、かなり早口で告げたのでした。すぐ先の花屋に着くと、殿は車を降りてご自分で花を選んで購入され、また車に乗り込むと、今さっきまでいた店の前に戻り、
「じゃー、ちょっと行ってくるからよ‥‥」
と、少しばかり緊張された様子で、誕生会の店へと入っていったのです。