1冊の本のとの出会いが、その後の人生を変える。そんな話をよく聞く。だが、自身が執筆した本により、本人のみならず家族全員の人生を最後まで翻弄することになってしまうとは…。
そんな著書が、1982年に俳優・穂積隆信が娘・由香里さんの非行と更生の日々を綴り、300万部の大ベストセラーいなった「積木くずし-親と子の二百日戦争」だった。
とにもかくにも、この本は売れに売れた。目を付けたTBSが翌83年2月から高部知子主演でドラマ化。すると視聴率45.3%(最終回)という驚異的な数字を叩き出し、穂積は教育評論家として全国を飛び回る「時の人」となったのである。
ところがこの「積木」は、実はまだ崩れ続けていた。同年10月、由香里さんがトルエン所持で逮捕されたのだ。しかも金の出どころは、穂積から毎月渡される40万円という小遣いだったことが発覚。その日を境に、美談はとんだ茶番劇と化してしまったのである。
いや、これはまだ序章にすぎなかった。なんと穂積の妻Aさんが、穂積が手にした印税3億円ほか、講演料を含めた億単位の全財産を持ち、由香里さんと出奔。穂積所有の土地も1億2000万円で売り払い、穂積はベストセラー作家から一転、膨大な負債を抱えることになった。
さらに85年には由香里さんが覚せい剤取締法違反で逮捕され、夫婦はもめにもめた末、87年に離婚。しかし90年、再び由香里さんが覚せい剤使用の疑いで逮捕され、01年にはAさんが頸動脈を切って自殺する悲劇が起こるのである。
これだけでも映画さながらの劇的展開だが、物語はこれで終わらない。母親の死後、03年に穂積のもとに戻ってきた由香里さんが、その年の8月、なんと35歳という若さで、心不全のため急死してしまうのである。
9月2日、都内で会見に臨んだ穂積は、
「棺がかまどに入る時、由香里を殺したのは自分だったのかな、と…。『積木くずし』さえ書かなければ、こんなことにはならなかったのかもしれません。由香里を早死にさせてしまった…すごく後悔しています」
そう言って涙をぬぐうと、続けて言った。
「由香里は敵であり、味方だった。優しさや愛、いろいろなことを教えてくれた。いろいろあったけど、由香里は35歳で死んだことで、過去を全部自分で洗い流してお母さんのところへ帰っていったのかなぁ。僕と由香里の積木くずしは、20年経ってやっと今、完結しました」
そんな穂積が87歳で由香里さんの元へと旅立ったのは、2018年10月だった。遺体は故人の意志で慶応病院に検体されたが、出版から36年、それは穂積が「積木くずし」の呪縛から解き放たれた瞬間だったのかもしれない。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。