遡ること25年、まだ金正恩の父・金正日が総書記だった時代、かの北朝鮮に招かれ、国賓待遇の扱いを受けた日本人女性がいる。それが世界を舞台に活躍していたマジシャンのプリンセス・テンコーこと、2代目引田天功である。
彼女が日本人として初めて招待されたのは、1998年4月8日から18日まで、首都・平壌で開催された「世界芸術祭」だった。かねてから彼女の大ファンだったという金正日総書記により、天功が北京経由の高麗航空152便で平壌空港に到着したのは、4月15日だった。
芸術団団長らに出迎えられた彼女は、翌日のレセプションを経て16日と17日の両日、7000人を収容する平壌劇場でイリュージョンを披露。2日後の19日に北京経由で日本の地に降り立ったのだが、同夜、成田空港で記者会見に臨むと、こう語った。
「体育館ほどの会場には巨大なエントランスがあり、床には宝石が敷き詰められいて、壁も天井も総大理石。舞台は立体的で、センターステージの前と横、さらに上にも別のステージがあり、あんなにものすごい劇場は初めてでした」
いまだ興奮冷めやらぬ様子である。ただ、「金総書記とは対面できたんですか」の質問に対しては、
「いいえ、正式にお会いしたのは副首相です」
招待した張本人が彼女と会わないことなど、ありうるのか。そこで関係者を取材すると、彼女が平壌に到着して3日目の16日朝、彼女のもとに金総書記から「非公式なプレゼントがあります」との伝令があったことがわかる。当日のマジックショー終了後、平壌劇場内のVIPルームで、宝石を潰した粉で描かれた彼女の肖像画を手渡されたというのだ。そしてそこには、金総書記に似た「人民ジャンパー」を着た男性がいた。ただ、所属事務所は「本人かどうか確認できないので、コメントはできません」と答えるのみだった。ところが、である。
イリュージョンがよほどお気に召したのだろうか。翌99年にも彼女の元には北朝鮮から、同公演への参加依頼があった。他の仕事と重なったこともあり、天功側が出演を断ると、その時期から無言電話が頻繁にかかってくるように。自宅には見たこともないミッキーマウスのレプリカが置かれていたり、さらには山梨県甲府市の路上で、警察官を名乗る2人組に声を掛けられ、車に乗せられそうになる「拉致未遂事件」まで発生した。
「警察に被害届を出し、全ての部屋に監視カメラを設置するなど、徹底した防犯対策を施すも、関係者以外は知らない彼女の携帯電話番号に『金総書記がお待ちしています』というメッセージが残されていたことも。無言電話は月に数百本。本人は精神的、肉体的にも参ってしまい、仕事が手につかない状況だったと聞いています」(スポーツ紙記者)
目に見えない恐怖だけは、イリュージョンでも消せなかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。