飛び出して来た猫を、車で轢いてしまった…。その呵責が伝説の「炎のフラメンコダンサー」長嶺ヤス子さんを変えていった。死んでいった猫をずっと供養したい。情熱の人だけに、その思いは並外れたものだった。
長嶺さんは東京都港区内の賃貸マンションを2部屋、借りていた。その1部屋で保護した猫などを20匹ほど飼うようになり、猫との共棲が始まった。その後は品川のマンションに引っ越し、猫がどんどん増え、猫が75匹、犬が5匹いる大所帯になった。そしてワイドショーが取り上げる騒動になった。長嶺さんが言う。
「上の階に住んでいた大家が『猫を連れて出て行け』と言い出して、大騒ぎになっちゃって。それだけではなく、近所に意地の悪い人がいてね。私は犬も飼っていたから、散歩に連れ出すでしょ。その人に脅されたりしたんです。それでこちらとしても、人を雇って危害を加えられないようにするしかなくて。それやこれやが重なって、ワイドショーが毎週、取り上げるような騒ぎになっちゃった」
結局、品川のマンションからは退出し、故郷の福島県猪苗代に戻ることになった。それが40年ほど前だ。故郷で見つけた家は、建設会社が所有する社員寮だった。350坪くらいある広い土地だ。坂を上がると建物があり、坂の隣りは庭のようでもあり、広い空き地になっている。賃料は10万円ほどだった。家は十数年前に、500万円ほどで買い取った。
「社員寮だから庭に面したリビングは、もともとは社員食堂です。その隣りは当時、社員が出入りしていた玄関で、広い土間のような作りになっています。玄関のドアを開けていくと、迷い猫や捨てられた猫が入ってきたりするんですよ」(長嶺さん)
この家に引っ越してから猫はさらに増え、一時は120匹に。犬は8匹いた。
長嶺さんはステージのあるスペイン料理店や、大きな会場でフラメンコのショーを行いながら絵描きとしても活動し、都内のデパートで個展を開いた。2013年にはドキュメンタリー映画「長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ」が上映されて話題になった。
多忙で長嶺さんが不在の時は、猫の面倒を誰がみていたのかといえば、住み込みと通いの女性だった。ところが通いの女性は辞めてしまい、住み込みの女性は11年ほど前に深夜に帰宅し、門前で倒れて凍死したという。この時、その女性がお金をネコババしていたことが判明するなど、後味の悪い事態になってしまった。
それからは東京と猪苗代を行ったり来たりの生活から、猪苗代に居続ける生活へと変化したようだ。今はパートナーのHさんとともに、猫の面倒をみている。
仕事先の東京での滞在費、猫のごはん代など、お金はかなりかかる。費用はどうしているのか。11年前のインタビューでは、こう答えている。
「踊りにもお金をかけるので、いつも赤字状態。油絵を描いて生計を立てている。1枚につき、安いものでは5~6万円、高いのは180万円くらい」
この時は松屋銀座で個展が開かれた。Hさんが言う。
「庭の周りは猫が逃げないように、フェンスで囲っています。それを作るのに何百万円もかかっているんです。猫にはワクチンも打ちます。仮に1本5000円として、100匹なら50万円かかる。多頭飼いするのは、経済的にもとても厳しい」
確かにそうだろう。家は猪苗代スキー場から下ったところにある。除雪は行われるが、今は積雪が1メートルを超えている。長嶺さんとHさんは800体の猫の遺骨、13匹の猫とともに猪苗代の冬を過ごしている。
(峯田淳/コラムニスト)