あまりにも残酷な明と暗を描いた打球が、左翼席に伸びて行った。誰もが目を疑い、誰もが腰を浮かせた。
伊東勤がバットを投げ捨て絶叫した。三塁走者の清原和博が両手を突き上げた。底冷えする球場に地鳴りが響いた。
開幕戦史上初の逆転サヨナラ満塁弾が生まれたのは1994年4月9日、西武球場での西武対近鉄戦だった。
近 0 0 0 0 0 0 0 0 3=3
西 0 0 0 0 0 0 0 0 4=4
9回裏1死満塁、伊東が赤堀元之の2-2からの8球目、真ん中高めに浮いたスライダーを振り抜いた。
打球は逆風をものともせずに左翼ポール際に飛び込んだ。
「必死だった。初めて芯で捉えた打球だった。逆転満塁なんて野球選手の夢だよ。一度やってみたかった。自分で言うのも変だけど劇的だね。野球選手として生涯の思い出になると思います」
プロ13年目、西武の正捕手にとって1000本目の安打は劇的弾となった。
「始めよければ終わりよし」
プロ野球の開幕戦も例外ではない。初試合の勝利は1勝以上の価値を持つ。
この試合、西武・郭泰源、近鉄・野茂英雄の右腕先発投手が、開幕戦の重圧をはねのけて緊迫の投手戦を続けていた。
8回まで0対0。しかし、その試合内容を見ると、西武は野茂の力のある真っすぐと落差の大きいフォークの前に手も足も出なかった。
4回を終わって11三振、このままいくと17奪三振の日本記録更新さえあるとささやかれ始めていた。しかも8回を終わってノーヒットである。
9回表、頼みの綱の郭泰源がついにつかまった。近鉄の主砲・石井浩郎に3ランを浴びてしまったのである。
西武に、開幕戦史上初となるノーヒットノーランの大ピンチが目前に迫っていた。スタンドは静寂に包まれていた。
だが、9回裏に沈滞ムードを振り払った男がいた。先頭打者の清原和博だ。
「恥ずかしいことだけは避ける」
風が右翼から本塁に向かって吹いていた。それでも外角の真っすぐを叩くと、打球は逆風をものともせず、ライト・内匠政博の頭上を越える二塁打となった。
気落ちした野茂は続く鈴木健に四球を与えた。8回までに12奪三振の一方、制球難も顔を出していた。7個目だった。
石毛宏典は左飛に倒れたが、ロッド・ブリューワの二ゴロを大石大二郎がファンブルして1死満塁となった。流れは西武に大きく傾いた。
ここで伊東が右の打席に向かった。近鉄ベンチから、監督2年目の鈴木啓示がマウンドに向かった。
指揮官は試合前に「野茂と心中する」と公言していた。激励かと思ったが、逆だった。「交代や」と声を掛けると、球審に右の守護神・赤堀の名前を告げた。
野茂は90年の衝撃デビューからトルネード(竜巻)投法でプロ野球界を駆け抜けていた。同年、最多勝の18勝を挙げて投手タイトルを総なめにした。91、92、93年と4年連続で最多勝・最多奪三振のタイトルを獲得。押しも押されもせぬ日本のエースである。
内心、納得できなかったであろう。前年、野茂は4月10日、藤井寺球場での日本ハムとの開幕戦に先発して、相手のエース西崎幸広と投げ合った。
4対3と1点リードで迎えた9回表に、1死満塁と詰め寄られた。94年とほぼ同じ状況である。新人監督の鈴木がマウンドに駆け寄って言った。
「お前と心中や。頼むで」
意気に感じた野茂は田中幸雄、マット・ウインタースを打ち取って鈴木に初勝利をプレゼントしている。
それが一転した。前年のデータがあった。伊東は野茂に対して18打数7安打1本塁打と打ち崩していた。この試合でもスタメンでただ1人、三振せずに3四球を選んでいた。だが赤堀には7打数無安打と完全に抑えられていた。
伊東は「代えられるのは仕方がない」と考えていた。実際、打撃コーチの広野功は森祇晶監督に左の代打を進言していた。
森はクビを横に振った。右翼から本塁への風は左翼へと変わっていた。
「右打者のほうが有利だ。伊東の勝負強さに賭けた」
そして言った。
「九死に一生やな。こんなことは記憶にない」
駆け引きに勝った森の自画自賛の言葉とともに「逆転」「サヨナラ」「満塁」3つの肩書きが付く劇的アーチが生まれた。
鈴木は「まさか本塁打とは‥‥野球は怖い。ベンチとしては最善の策を取ったのだが‥‥」と話すしかなかった。
赤堀もまた「交代はないだろう」と思い、気持ちが盛り上がっていなかった。
野茂は「赤堀が打たれたのだからしょうがない」と言いつつ、交代には「‥‥」と無言を貫いたのだった。
野茂には指揮官に「お前と心中や」と言われながらも土壇場で代えられた疑問と無念の気持ちが重く残った。
勝負は時の運である。だが、日本一のエースが打たれたのなら、チームとしても諦めが付いたはずである。
「始めよければ終わりよし」
西武はこの年、パ・リーグ初の5連覇を果たした。近鉄はその西武に7.5ゲーム差を付けられてオリックスとともに2位で終わった。
エースと指揮官の気持ちはすっかり離れてしまったのか。
野茂はこの年のオフ、契約更改で希望した、複数年契約と代理人交渉を球団に拒否されて激しく対立した。
結果、任意引退という道を選び、近鉄を退団して以前から温めていたメジャーへの挑戦を明かした。
その後の大活躍は周知の通りだが、あの降板劇が海を渡る1つの大きな契機になったのかもしれない。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。