だが、白鵬といえば、2020年の東京五輪までの現役続行を公言。それだけに二子山部屋出身の元小結三杉里氏は、早期の引退説を一蹴する。
「今場所の白鵬は、とにかく早く立って先手を取ろうという意識が強すぎた。引退? それは当分ないでしょ。休場明けですから、これだけやれれば十分だと思いますよ」
とはいえ、憎いまでの強さで相撲界に君臨してきた白鵬が、いつまでも土俵に固執しているのは、もはや見苦しくはないか。中沢氏は手厳しく言う。
「相撲に覇気がない。このまま未練がましく土俵を続けるより、年内にスパッとやめるべきです。千代の富士も大鵬も優勝30回を超えてから、八百長工作をしていたが、見苦しかった。40回を刻んだ白鵬には引き際を大切にしてもらいたい」
振り返れば、角界の歴史を彩ってきた名横綱はいずれも引き際がきれいだった。名横綱の名をほしいままにしてきた栃錦は、1960年の初場所では14勝1敗で優勝。春場所でも東の正横綱で14勝1敗と準優勝するなど安定した取組を見せた。ところが、夏場所では、初日から連敗すると、ためらうこともなく、あっさりと引退。その「引き際の美学」は今でも語り継がれるほど。現在の角界でしきりに取りざたされる「横綱の品格」といった言葉も昭和の角界では、まったく俎上に載ることすらなかった。
「(栃錦の)師匠の春日野親方(元横綱栃木山)は、マゲが結えなくなって引退したような人で、現役を退いた後、親方として第1回全日本力士選士権大会に出場し、みごと優勝している。新横綱になった場所、その親方から横綱はやめ時を考えないといけないと諭されたそうです」(中沢氏)
半世紀前の栃錦を見習えということではないが、優勝回数40回の大横綱だけに、潔く身を処することも「品格」を判断するうえでのポイントとなる。
好角家の漫画家・やくみつる氏も手厳しい。
「今場所の白鵬は自分の体のことよりも、帰化、年寄株取得の進捗状況が気になって、相撲どころではなかったのではないか」
白鵬はひと頃、「後の先」という言葉を使っていた。白鵬が私淑する大横綱・双葉山が得意とした理想の立ち合いで、相手より一瞬、後に立ちながらも、当たり合った後には、先に有利な姿勢をとっている相撲の立ち合いを指している。
「ところが、夏場所での白鵬がやっていたのは『先の先』でした。白鵬は自分の呼吸で立つのが実に巧みです。先手を取って相手を圧倒する。特に今場所は早く立とうとすることを心がけていたようです」(ベテラン相撲記者)
くしくも今場所の白鵬の取組に藤島親方(元大関武双山)が、
「白鵬は立ち合いに迷いがあるようだ」
と言っているのも、「後の先」という白鵬本来の取り口ができなかったことが大きく影響しているようなのだ。