芸能人が記者会見を開く際の連絡が、芸能プロダクションからのファックス、というのが常だった時代のことだ。
届いたファックスに、事前に質問事項を記入。用紙を返信して会見に臨んだのが、2004年7月1日に行われた、高岡早紀の夫、保阪尚希のそれだった。
2人は96年のドラマ「ひと夏のプロポーズ」(TBS系)で知り合い、交際4カ月を経て結婚。98年に長男、00年に次男が誕生し、高岡は2児の母親となっていた。
ところがこの年の6月、ミュージシャン・布袋寅泰との濃密なキス現場が写真誌「FRIDAY」にキャッチされる。即座にコメントを発表した布袋は「いやぁ…火遊びが過ぎました。(今井)美樹ちゃんにはその夜帰宅した際に彼女(高岡)と会った事を伝えたので、今回の報道に関しても笑って許してくれました」として、高岡との関係は「遊びだった」と強調。
一方の高岡は、一切コメントせず。夫の保阪は、仕事でマレーシアに滞在中だった。高岡からの連絡を受け、急遽帰国した保阪が急転直下、高岡との離婚記者会見を開いたというわけである。
会見はマスコミ20社から事前に集めた200の質問の中から、代表的なものについて保阪が答える形でスタート。まずは離婚原因について、
「価値観の相違です。話の中でいろいろなことが『合わないね』って、積み重なっていった。時期? 1年くらい前から。離婚届は僕が(高岡から)渡されました」
以前から2人の気持ちが離婚へ向かっていた、と強調したのだ。
しかし、マレーシアから帰国後、わずか5日というタイミングでの離婚会見に、報道陣からの質問は、どうしても高岡と布袋との不貞問題に集中。
すると、それまで冷静に対応していた保阪の表情が強張り始め、
「写真を見たのは、離婚が成立してから。だから、原因ではない」
そう語るのだが、改めて怒りがこみ上げてきたのだろう。布袋に対し、怒りをあらわにしたのである。
「早紀が布袋さんと恋だの愛だのするのは構いません。ただ、相手が出したのが、吐き捨てるような答えだった。2人の子供を産んでくれた母親として、かつて僕の妻だった、愛した女性に対して、ファックス1枚で『火遊び』と斬り捨てるのはムカつきます。元亭主として、すけこましておいて『火遊び』というこの屈辱は許せない。最初に喧嘩を売られたのはこっち。相手の対応次第では、弁護士を通して、それなりの対応をさせていただきます」
つまり、訴訟も辞さないというのだ。布袋が所属するレコード会社に連絡すると、
「プライベートな問題ですし。こちらからコメントを出す予定はありません」
その後、両者は和解したとも伝えられるが、高岡は2010年9月、未婚で女児を出産。だが、その後も俳優らとの熱愛が報じられるなど、相変わらず「恋多き女」を満喫しているようだ。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。