で、殿の付き人になってひと月程たった頃、当時の殿の運転手の方が免停になってしまい、急遽、付き人よりさらに殿との密着度が増す運転手を、わたくしが務めることになったのです。 ある日、いつものように殿を後部座席に乗せ、ハンドルを握っていると、
「北郷は何かスポーツはやってたのか?」
といった質問を、突然殿から受けたことがありました。この時、〈やっていたスポーツを聞くってことは、つまり俺の筋肉の付き具合なんかを想像して、殿は密かに興奮しているのでは?〉と、今思えば、完全な“ホモノイローゼ”をこじらせて、ますます〈殿はホモに違いない〉と信じ込んでいったのです。
で、この時期、北野映画7作目「HANA-BI」の撮影真っ只中だったため、連日やたらと朝の早い日が続き、〈とにかく寝坊による遅刻だけは気をつけなければ〉といった想いと、〈殿にいつか抱かれるのでは〉といった“今そこにある危機”が重なり、恐ろしく緊張感のみなぎる生活を余儀なくされ、肉体的にも精神的にもかなり追い込まれていた時期でありました。
そんなある日、夕方に撮影を終え、友人の方と食事&お酒を召し上がった殿を、深夜0時過ぎ、主に仕事部屋として使っていた、当時、殿が1人で住まわれていたマンションへお送りし、車をマンションの前で停め、「殿、明日も朝7時にお迎えにあがります」とお伝えすると、
「しかし毎日毎日早えな~。北郷、お前も大変だろ」
と、なぜか急に“やさしいたけちゃん”の一面が顔を覗かせてきたのです。
さらに殿は、
「どうだ、映画の撮影は見てて面白いか」
と上機嫌で話しかけてこられると、続けて、
「あれだな。明日も早いし、俺も寝坊しそうだしよ、お前、今日は泊まってけよ。そのほうが楽だろ」
といった提案をこちらに放り込んできたのです。
当たり前ですが、この世界、師匠が泊まっていけといえば黙って泊まるのが常ですから、殿を降ろし、車を駐車場に入れてから、殿の待つ部屋にお邪魔すると、殿は早々にTシャツとトランクス1枚といったあられもない姿になられていて、
「俺は後で適当に風呂入って寝るからよ。お前、先に風呂入って、あっちの部屋で寝ていいぞ」
と、“いよいよ”な指示を出してきたのです。
心の中で、〈来た! ついに来た! とうとう俺はたけしに抱かれる!〉と心臓をバクバクさせながらも、言われるがままシャワーを浴びて、「殿、それではお先に失礼します」と断りを入れてから、殿の隣の部屋でドキドキしながら横になりました。が、疲れがピークに達していたため、殿の夜這いに怯えながらも、わりとすぐ夢の中へ落ちてしまうと、どのくらいたったかわかりませんが、
「おい、おい」
と、誰かに肩を揺り動かされ、目を開けると、枕元に殿が立っていたのです。〈うわっ! マジで来た!〉と、内心ビビり倒しながらも、一気に目が覚めたわたくしに、
「寝てるとこ悪いけどよ、腹減ったから何か買ってきてくんねーか」
殿はそれだけ言うと、またご自分の部屋へと戻っていかれたのでした‥‥。結局、深夜2時過ぎ、コンビニで買ってきたざるそばとおにぎりを平らげた殿は、
「じゃーさすがに寝るか」
そう漏らすと、そのとおり、わたくしのベッドに入ってくることもなく、静かにお眠りになったのです。
あれから16年、わたくし、今のところまだ“無事”であります。