15世紀にワラキア公国(現在のルーマニアの首都ブカレストがある地域)を統治していた君主ヴラド3世は、敵対するオスマントルコ人を8万人も殺害。しかも敵を拷問の末、最後は「串刺し」にするという残忍な方法で殺めたとして、ルーマニア語で「ヴラド・ツェペシュ=串刺し公ヴラド」と呼ばれ、恐れられた。
ブラム・ストーカーの怪奇小説「ドラキュラ」に登場する「ドラキュラ伯爵」は、この人物がモデルとされる。そんな狂気の独裁者が書き残した3通の手紙を、ルーマニアとイタリアの科学者による研究チームが分析。その驚くべき分析結果を論文にまとめ、「Analytical Chemistry」誌(2023年8月8日付)で発表したことで、世界の科学者らが驚愕している。科学ジャーナリストが解説する。
「研究チームは、ヴラド3世がなぜそこまで残忍な性格形成に至ったのかを探るため、手紙に付着した皮膚から化学物質の微粒子を抽出しました。そこから500種以上のペプチドの残留物が発見され、ヒト由来のペプチド100種に絞り込んだ。すると細胞機能や臓器にダメージを与える遺伝子疾患に加え、体の多くに炎症を起こす疾患の証拠が見つかったんです。つまり、ヴラド3世は体のあちこちに大きな疾患を抱えていて、その痛みや不安から、常に精神状態が不安定だった。それが彼を残忍な言動に駆り立てた可能性が高いことがわかったのです」
中でも研究チームを驚かせたのが、涙管内で見つかった「ヘモラクリア」という物質だった。アメリカ眼科学会議によると、これは血管の過密が原因で起こる非ガン性の血管腫で、血の成分を含んだ涙を流すのが特徴。放置すれば緑内障、さらには失明する場合もあるという。
つまりヴラド3世は血の涙を流しながら、多くの敵を串刺しにして殺してきた可能性が極めて高いことになる。
ヴラド3世は1476年、オスマン帝国軍を撤退させ、三度目のワラキア公となった1カ月後、側近に斬りつけられて絶命したといわれる。その首は公に晒され、遺骸はワラキアの修道院の祭壇下に埋葬された。ところが18世紀に掘り返されると、今度はあえて入り口付近の、人が大勢通る場所に埋葬されたと伝えられる。吸血鬼ドラキュラ同様、死してもなお苦しめられる最期を迎えることになったのである。
(ジョン・ドゥ)