原爆投下から今年でちょうど80年。節目の年を前にした昨年12月24日、長年にわたって核廃絶を訴えてきた日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)にノーベル平和賞が授与された。日本記者クラブで会見に臨んだ代表委員らは、
「受賞にあたっては、若い人たちにも被爆者がやってきたことを受け継いで『核のタブー』が壊されることなく、より強固にしてほしいという思いがあった。ぜひ私たちの運動に協力してほしい」
そう改めて呼びかけたのである。
言うまでもなく、日本は1945年8月の広島、長崎への原爆投下により、20万人余りが犠牲になり、今でも後遺症に苦しむ人々がいる、世界で唯一の被爆国だ。
だがかつて、そんな被爆者たちの苦悩を逆なでする発言で猛批判を浴びた政治家がいる。久間章生防衛相による「原爆投下容認」である。
2007年6月30日、千葉県柏市の麗澤大学で講演会を行った久間氏。話題は広島、長崎への原爆投下へと移行する。ここで何を思ったのか、次のように言い放ったのである。
「(アメリカは)日本が負けるとわかっているのに、あえて原爆を落とした。原爆が落とされて無数の人が悲惨な目に遭ったが あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。アメリカを恨むつもりはない」
この発言に会場が凍りついたことは言うまでもなかろう。久間氏自身も長崎県出身。しかも日本の防衛と安全保障を担当する重い責任を担う、現役の閣僚である。そんな人物のあまりにも軽率で不用意な発言には当然ながら即刻、大臣の罷免を求める声が上がった。
しかし、当時の安倍晋三首相は当初、
「(久間氏は)アメリカの考え方を紹介したものと承知している」
とする擁護的弁明を行い、厳重注意はしたものの、罷免要求には応じず。だが、コトはそれで収まるはずもなく、被爆地はもとより、日本全国から猛反発を浴びることに。そして7月1日、久間氏は 防衛大臣を辞任することになったのである。
「原爆投下を『しょうがない』と認識しているということは、原爆使用も容認できると受け止められても仕方がない。長崎出身の久間氏であれば、本来は人一倍、原爆被災の残忍性に敏感であるべきだった。むろん、地元長崎の後援者からも猛烈な批判が巻き起こったことは言うまでもありません」(政治部デスク)
この年の7月に公開されたスティーヴン・オカザキ監督のドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」の中で、長崎で被爆した女性はこう語っている。
「妹は苦しさのあまり自ら命を絶って『死ぬ勇気』を選んだけれど、 自分は『生きる勇気』を選びたい。でも被爆者は『人間らしく生きること』も 『人間らしく死ぬこと』も許されない」
久間氏はこうした被爆者の嘆きをどう聞いたのだろうか。
(山川敦司)