「うつ病」の症状が始まったのは、中学3年生の時。つけられた病名は「双極性障害」だった。昔でいう「躁うつ病」だが、「躁」の状態にはほとんどならず、ほとんどがうつ。だから引きこもりになったのは外的要因というよりも、病気のせいだった。神奈川県座間市議の片岡将志は、自らの過去を振り返る。
「それでも中学、高校はなんとか卒業したんですが、大学時代は失恋したのもあって、ほとんど学校に行かなかったですね。せいぜい週一回、通ったくらい。一日のうち20時間はベットでゴロゴロしている日々が続きました。一応、大学を出て就職はしたものの、一年でやめて、また本格的な引きこもり生活に入りました」
iPadで将棋ばかりやっていたらどんどん上達してしまい、今は六段になってしまったという。
「自殺未遂もどき」も繰り返している。強い酒をあおって、10階建てのビルの廊下から柵の外へ出て、幅20センチくらいしかないスペースで朝まで眠ったり。墜落したら即死確実だ。死にたくなった理由は「人生がつまらないから」。
そんな彼が「社会復帰」のために働き出した職場が、あの立花孝志氏が率いるNHK党だった。どこかで「こんな自分でも他人のため、特に社会的弱者のためになりたい」と思い続けていたことで、政治に関心はあった。NHKがとても立派な組織だと思っていたら「実は弱者を虐げるヒドイところです」と訴えたNHK党の主張に心動かされ、コールセンターの職員になったのだ。そこで党から、ある提案をされた。それは何だったのか、本人の口から聞いてみよう。
「次の都議会議員選挙に出馬してほしい、って頼まれたんです。しかもNHK党ではなく、独自の政党の名前で。党名は立花さんが命名した『こころのやまい党』。2021年、ちょうどコロナが流行っていたので、僕のようにうつで引きこもりの人が増えていた。電話相談などで、そういう人たちを救うのが狙いだって。必要とされていて嬉しかったですし、選挙期間中は体調が悪くて外に出られない日が多かったですが、いい経験だったと思っています」
選挙には落選した。だがそこで、政治への思いに火がついた。2023年の八王子市議選には、自らの意志で出馬した。ずっと隣の日野市に住み、高校は八王子。まさに地元だったのだ。
今度は全面的にNHK党の看板を掲げて、立花氏が応援に来てくれた。まだ病気は全快とはいかなかったものの、必死で街頭演説をこなした。
「ところがあの『ガーシー問題』が起きて、NHK党が叩かれている最中だったんですね。立花さんが八王子駅前に来た時、つばさの党なんかの妨害がすさまじかった。演説の声が聞こえないくらいの大きな音量で、立花さんを攻撃するんです」
嵐の中のような場所で元引きこもりが演説をするのだから、さぞつらかっただろう。結局、立花氏が擁立した候補者90人余りの中で、当選はわずか4人。片岡も落選した。
だが落選が続いて、かえって「議員になりたい」との思いは強くなった。きっと自分のように心に病を抱えている人たちは、年を追って多くなっていくはず。だとすれば、議員として働ける余地は広がっている、と。
2024年に入り、厚木や海老名など神奈川県に仲のいい市議がいたこともあって、そのすぐ近くの座間市議選に出ることを決める。東京に近いベットタウンなのに、座間だけがなぜか遅れていた。学校の体育館にエアコンが入っておらず、夏の体育授業ができない、といった話を聞いたりしたからだ。そこに「困っている人」がいると判断したのだった。自分ひとりだけの地域政党「座間未来の党」を名乗った2024年9月の市議選で、今度こそ当選。
「正直、当選できたのは若かったからだと思います。僕以外に市議選でSNSを使って発信している人は少なかったし」
やりたいことはもちろん「弱者救済」だ。議員になった後、困っている人たちの手助けを積極的にしていくつもりだったし、現実にそうした活動をしている。
彼の前歴を知る人からは、多い時には1日数十件も電話が入り、その多くが、うつなど心の病に関するお悩み相談だ。例えば先日は「居場所がわからないウチの息子が、飛び降りて死にたいと言っている」と連絡をもらい、その親が捜索願いを出すのに警察まで付き添った。結局、息子さんの居場所がわかり、助かったが、息子さんは話せる状態ではないらしく、回復したら話してもらいたいと相談に乗り続けている。
「僕は相手が電話を切るまで、何時間でも聞きます。経験者だからわかるんです。気が済むまでしゃべり続けるのが大事だって。必要なら家にも行く。こんなに気軽に家まで行く議員は、あんまりいないんじゃないかな」
かつて名乗った「こころのやまい党」の活動を今、現実に進めているのだ。
(山中伊知郎/コラムニスト)